高岡健『やさしい発達障害論 増補新版』批評社、2018年
障害は、不変なものでも、客観的なものでもない。障害の「社会モデル観」にあるように、障害は社会の変遷やあり方とともに変わる。
2004年に成立した「発達障害支援法」には「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害」と定義される。
精神科医の筆者によれば、「発達障害」は、様々な障害が分岐し、集合して出来た概念だという。本書は「発達障害」概念がなくても社会が回っていた時代から筆を起こし、「発達障害」の概念がどのように出現したのか、社会的背景をふまえて迫っていく。
「自閉症」は知的障害から分岐した概念である。アメリカで子どもが教育を受けることを望む豊かな階層の親の要請によって研究が進み、見出された。「多動」(学習障害LDや注意欠如多動症ADHD)の概念も、やはりアメリカに由来し、もともと貧しい非白人を対象にした概念だった。
日本における「多動」概念の本格導入は、学級崩壊が流行って以降で、筆者は家族、学校、社会に余裕がなくなったために採用されたと見ている。ただ、アメリカと違って、明確な階層差が認められているわけではない。また「発達障害支援法」は、脳に要因があるとしているが、科学的に証明されているわけではない。したがって、診断も恣意的になりがちである(だからといって、支援が不要なわけではない)。
日本ではアメリカと違って、「自閉症」も「多動」も階層による分断がなかったために、各障害団体が一致して国会議員に働きかけ、「発達障害支援法」成立した。筆者はこの法案に一応、賛成しているが、現状は学校や社会のあり方を問うことなく、自己責任が強調されてしまっていると警鐘を鳴らす。つまり、障害の医療モデルに戻ってしまっているのだ。
